第73回 あれからの、ヘンゼルとグレーテル
「う~う~う~」。夢にうなされる老婆。『熱い!熱い!。うおお~うお~。おのれ卑怯な!祟って祟って祟ってやる。うおおおお~』。「う~う~う~」。幼い頃の記憶が悪夢となり、老婆は毎晩、ひどい寝汗と不眠の改善策に悩んでいた。
老婆の名は、グレーテル。昔、森の中のお菓子の家で、兄ヘンゼルと共に悪い魔女に食べられかけた、ライオンとヒョウと実母に殺されかけた松島トモ子さんのような、壮絶な過去を持つ。兄を助けるため燃えるカマドに魔女を押し込み、扉を閉め、焼き殺したグレーテル。彼女を罵る魔女の断末魔が耳に残り、今も苦しめる。年を経て鏡に映る自分が、あの時の魔女と重なる老婆の姿。それがまた、年々記憶を鮮明にするのであった。
3年前から認知症を患うヘンゼルの老々介護も続くグレーテルは、最後に父親を亡くして以来、ふたりで質素に暮らしていた。しかし兄弟は魔女殺しのあと、お菓子の家にあった財宝を持ち逃げ。だから兄弟は、実は資産家なのだ。この事実を周囲は知らない。
幼い兄弟を森に置き去りにするよう謀った母方の甥夫婦とその子が、今はグレーテルたちの唯一の身内だ。たびたび家を訪れ、親身に世話をしてくれる。「おばあさま、お身体の調子はいかがですか」。「お婆ちゃん、イチゴだよ。お爺ちゃんと食べて。甘いから」。「婆ちゃん、荷車を買ったから、これに乗ってキノコ狩りに行こうよ」。「みんないつもありがとう。本当にありがとう」。「おばあさま、遠慮なく何でも言ってくださいね。あなた、おじいさまの様子もみてくださいな」。彼らとの会話が、グレーテルを落ち着かせる。するとなんだか眠くなってきた。「少し休ませてもらうよ」。「そうしてください。その間に食事を作ります。用意ができたら声をかけますね」。
目が覚めかけたグレーテルに、台所から甥夫婦の会話が聞こえてきた。「おじいさまは認知だし、いくらおばあさまでも道は覚えられないでしょうから、戻ってこれないわ」。「それなら次の日曜日に森へ連れ出そう。ふたりがいなくなったら、隠してある財宝はオレらのもんだ」。グレーテルは静かに泣いた。そして何かを決意した。「良い匂いが漂ってきて、目が覚めたよ」。「ちょうど料理が出来上がったところです。おばあさま、お掛けになってください。おじいさまはこちらに」。食事も終わりかけた頃、甥がキノコ狩りを提案した。グレーテルは「行きましょう。ヘンゼルも気分転換になると思いますよ」。
日曜日。ヘンゼルとグレーテルは荷車に乗せられ森へ入って行った。途中何度も頻尿だからと荷車から降りたグレーテルは、道端の茂みで用を足した後、帰りの道標にと大きめの紙で拭き、そのまま落としていた。深い森の奥でキノコや山菜を摘み昼食をとった。食事後甥が「婆ちゃんと爺ちゃんは疲れただろうから、ここで休んでいて。オレたちはもう1時間ほどキノコを採ってくるから」。妻も「おばあさま、今晩はキノコたっぷりのシチューを作りますね」。「ありがとう。楽しみだねぇ」。甥夫婦は「ぼくもお爺ちゃんとお婆ちゃんとここにいる」と駄々をこねる我が子を連れ、去った。そして1時間経ち2時間過ぎても、彼らは戻らなかった。
「やはり、そういうことね」。グレーテルは、何が起こっているのか理解できないヘンゼルと家に帰り始めた。小さい頃から兄は木こりとして、妹は家事と農作業をしていたためか、幸いふたりとも足腰はまだしっかりとしていた。最後に紙を落とした場所に向かう途中「メェ~」とヤギが通り過ぎた。
グレーテルがこの辺りと思う地点に道標はなかった。その次も見当たらない。「ヤギが食べたのね」。五叉路を間違え、ふたりは道に迷う。日も暮れ森は暗くなっていた。「どこか寒さ凌ぎの場所を探さないと」。すると奥の方に明かりが見えた。近づくと小さなレンガの家があり、子豚が三匹仲良く暮らしていた。グレーテルは扉を叩き、彼らにこれまでの経緯を話した。年老いたふたりを気の毒に思う優しい子豚は中に入れ、「お腹が空いたでしょう。ちょうど夕食を作っていたので食べてください。狭いですが今日はここに泊まってください。明日、村まで送ります」。「子豚さん、親切にありがとう」。「料理が出来上がるまで、もう少し待ってください」。
三匹はそれぞれが大鍋で具材を煮て、カマドでパンを、暖炉でトリュフを焼いていた。表情をなごませながらその光景を見ていたグレーテルに、突然魔女の声が聞こえた。「子豚を食べるんだ。美味いぞ。煮て焼いて食べておしまい」。魔女の声に操られ、グレーテルは三匹の子豚を大鍋に、カマドに、暖炉に入れて食べた。殺された魔女の祟りにより、グレーテルは森に住む新たな悪い魔女になってしまったのだ。
家に戻った甥夫婦は、さっそく床下に隠してある財宝を取り出した。その中にはヘンゼルとグレーテルも開けられなかった宝石箱があり、無理やり壊した。中にはホープダイアモンドがあった。「オレたち、これで大金持ちになるぞ」。しかし3日後、ふたりとも亡くなった。その宝石は伝説の『呪いの宝石』だったのだ。
こんな「お菓子の家」にも、注意が必要です。
ノルディックサウンド広島
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