第51回 変態寺(へんたいじ) 伝説
現役を退いてから何年だろう。妻にも先立たれ、最近は記憶もあやふやだ。それなのに日本で体験した奇妙な数週間の記憶は、今も鮮明で消えない‥‥‥‥。
私の名はデラウェア・ウィルミントン。英国在住の元考古学教授で自称冒険家。文献に記された考古資料を探し、20代半ばから世界中を駆け巡った。時にはイラクで悪霊パズズ像を見つけ「エクソシスト」に巻き込まれ、白目を剥く少女に襲われたり、アメリカでは母星に帰還しようと宇宙船に乗り込む間際の「E.T.」と遭遇し、”Come”と拉致されかけた。
1970年3月31日、私は羽田に着いた。日航機よど号ハイジャック事件当日だった。目的は神話で語られる、イザナギとイザナミの神が混沌とした地上を掻き回し日本列島を作った「天の沼矛 (あめのぬぼこ)」を探すことであった。日本語と古文を理解する私は、長年資料研究をしていた。幾つかの手掛かりを基に日本国内を調査中、山で蜂蜜を舐める熊さんと鉢合せし川に落ち、意識を失った。
気がつくと、私は和室の羽毛布団で寝ていた。体には包帯が巻かれ怪我の処置もされてあった。(ここは何処だろう?)。枕元には「アベノミクスの青汁」が置いてあった。胡散くさそうな名なので飲まなかった。遠くから人の声も聞こえた。「へ~んた~い、へ~んた~い」。私は耳を疑った。(本気か!! 変態と言ってる!!)。「へ~んた~い、へ~んた~い」「へ~んた~い、へ~んた~い」。
「変態」に導かれ、私は部屋を出た。何か目に見えない「念」も感じ、痛む足を引きずりそこに向かった。(ここは古い寺のようだ)。長い濡れ縁の先の外陣が「変態」の源だった。
「お目覚めかな。体の具合はどうかな」。高齢の住職が正座のまま振り返り、私に問いかけた。「ココハ ドコデスカ?アナタガ タスケテクレタノデスカ?」。「変態寺じゃ。人里離れた古刹じゃよ。川で河童があんたさんを見つけ、ここに運んで来ましての」。「(カッパサン?メズラシイ ナマエダ。) キズノテアテモ シテイタダキ アリガトウゴザイマス」。「数週間ここに滞在なされ。傷に効く湯治場もありますしの」。「Sincerest thanks」。住職は頷き「では勤行を続けますかな。へ~んた~い、へ~んた~い」。
夕刻、いつの間にか二、三十人が外陣に座っていた。住職は唸るような低い声で「へぇぇ~んたぁぁ~い」と読経を始めた。人々も「へ~んた~い」と唱える。「へぇぇ~んたぁぁ~い」「へ~んた~い」。ここから目を疑う光景が始まった。人が、鶴、狸、狐、猫、犬、鼠、蛇、蜂、亀、蛙、蟹へと姿を変えたのだ。私はこの奇跡に涙を流し、寺にいながら神に感謝した。皆が立ち去った後、私は住職に尋ねた。「ドウカ スベテヲ オシエテ モラエマセンカ」。
「人は変態を『異常者』と捉えるが、そもそも変態とは生きていくための手段じゃ。青虫が美しい蝶へと姿を変えるが、人も年月を経て赤子から大人に変態し、子孫を残すべき者は残し、やがて死ぬ。変態は生命の摂理、全てに等しく与えられた権利じゃ」。「しかし生命の摂理はまた不思議なもんでの、まれに異種間の変態がおこるのじゃ。人と人以外の物たちへの変態じゃ。短期に、繰り返しでな。あんたさんはそれを見たのじゃ」。
「変態寺はの、異種間変態を潜在的に持つ人の子を『善き変態』へと導き、学ぶ場じゃ。代々その役割を受け継いでおる。『鶴の恩返し』『分福茶釜』を知ってますかな。『善き変態』を持つ者の話が、いつしか民話になったのじゃよ。あんたさんの羽毛布団も和布団では重かろうと、鶴が自分の毛でこさえたものじゃ」。私はもう一つ尋ねた。「『アシキ』ヘンタイ モ アルノデスカ」。
「ある」。「『悪しき変態』、変態のダークサイドに落ちた者じゃ」。「異種間変態者が『異常者』となれば、並の異常者とは異次元の異常者、『ど変態』に変わるのじゃ」。「不思議なもんでの、『悪しき変態』は過去から、為政者、権力者ばかりじゃ。未来もかわらん」。「皆を『善き変態にしたいのぉ」。私は住職の嘆きと重い責務に(住職に、神の御加護があらんことを)と十字を切った。
怪我もほぼ完治し、私は変態寺から去ることになった。住職や寺に来ている皆と、そして川の河童にもお礼を述べた後、眠り薬を飲まされた。目が覚めると、早朝の無人駅待合室だった。だから私には、変態寺がどこにあるのか知らない。そして今、インターネットやBBC Newsで知る日本の状況に、住職の言葉を思い返す。
知られざる民話『ノミの恩返し』
ノルディックサウンド広島
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