第30回 スカーレット・レディ
「11;00 a.m.。人に酔いながら、地下鉄六本木駅から地上に吐き出された僕に、汚れた首都高が迫ってくる。白人、黒人、有色人種。智恵子は東京に空が無いといふが、異国の人は多くいるんだ。(中略)灰色の什器に飾られ詰められた、無口なCD。僕は手に取る。僕は高揚する。僕は脇汗をかく。『見つけた』『僕は見つけたんだ』。独り言のように同じ探究の目をした隣人に呟く。『僕は見つけたんだよ』。見知らぬ隣人は怪訝そうに5秒間僕を見つめ、深く息を吐いた。哀れみの目だ。『だって、ここは六本木WAVEだぜ』(後略)『1Q87・ギロッポンの森』より」
1980年代の六本木WAVEは凄かった。私は、初めての東京ディズニーランドと同じくらいのカルチャーショックを受けます。国内盤未発売の圧倒的な輸入盤の数。柔らかい照明空間。こんなCD・レコード店、広島では想像出来ませんでした。しかし90年前後のバブル経済期から、「タワーレコード」「HMV」「ヴァージン・メガストア」の外資御三家の日本進出・国内展開が本格化し、六本木WAVEからもスタッフが移ります。私は、各店舗のコメントカードやフリーペーパー等で気づきました。そして、六本木WAVEの黄昏が訪れます。
1990年9月22日、ヴァージン・メガストア新宿店のオープン日。前澤友作氏よりも一足早く宇宙に行ったヴァージングループ総帥リチャード・ブランソン氏も来日して、オープニングセレモニーが行われました。この頃の私は、GWと秋の2回、CDの買い出しと来日演奏会等で東京が「自分へのご褒美(嘔吐)」の時。セレモニーがあるとは知らず、新宿マルイ地下1階入り口前の通路で終了を待ちました。そして店内に入ります。大勢のマスコミ関係者に囲まれたブランソン氏。本日の有名人第1号をチラ見して店内一周です。当時のヴァージン・メガストアは、黒を基調としていたという気がします。ネットで見た2001年移転オープンの新宿店は、コーポレートカラー「赤」を活かし、現在のポップで洗練された「ヴァージン」とわかる店です。さて、私の目的はサウンドトラック。購入リストを片手に探します。ところが早朝フライト便のためか、途中から眠くなりました。ふと気づくと、テレビカメラとライトがこちらに向いています。私は何故か小芝居を始めました。CDを棚から選ぶ指の演技。欲しいCDを見つけた瞬間の目の演技。嬉しさを声に出さない口元の演技。大根役者が、その日のニュースで映ったようです。実家の方へ神奈川県に住む叔父から、私が東京に来ているのかと電話があった事でわかりました。
ヴァージン・メガストアも消滅しましたが、ブランソン氏は航空業界に参入。画期的な機内サービスと客室空間を提供し、空港ターミナル内専用ラウンジをも一新させました。ダイアナ元妃を乗せた、赤い垂直尾翼に「Virgin」と白く抜いたエアバスA340の成田着陸シーンを覚えていますか。現在「ヴァージン・アトランティック航空」は、コロナ禍で会社更生法を申請し経営再建中です。それでもブランソン氏は「ヴァージン・ボヤージュ」を設立し、クルージング業界にも参入していました。11万トン級3隻のフリート体制になる予定です。1号船はコロナの影響を受け、当初から1年以上遅れて本格就航しました。乗客が撮った船内の様子や、テスト航行中の姿を上空からドローンで、入出港風景を岸壁から撮影した映像が、ネット上で観られます。タイタニック号の時代に戻った様な真っ直ぐな船首。そこから操舵室へと鼻筋が通り、客室デッキが斜めに上がっていきます。一気に船尾へとラインが流れ、最後部は上から下にかけて「逆『く』の字」で緩やかなカーブを描きます。ファンネルと救命艇の色は「赤」。船尾も赤で、白抜きの「Virgin」が大きく書かれています。前後から見た客室デッキは主甲板より狭い幅。巨船でありながら信じられないほど完璧なプロポーション。新しいデザイン手法。この美しさはまさに21世紀のタイタニック号です。森で大きな卵をみつけた「ぐりとぐら」のように「この船を氷山にぶつけたいな」「大津波で転覆させたいな」と、ハリウッドは思案するでしょう。彼女の名前は「スカーレット・レディ」。洒落てます。しびれます。そして、やっぱり大人です。
ヴァージン・ボヤージュ公式サイトから
https://www.youtube.com/watch?v=iSKlrWWZ3VQ
レディといえばこの人でしょう。
ノルディックサウンド広島
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