第29回 昭和40年代・お手伝い事情

むかし、桃太郎のお婆さんは川で洗濯をしましたが、私も川で、妹のオムツを洗濯しました。我が家に、まだ洗濯機がなかったためです。洗濯はいつも玄関横の外の洗い場で、泡の立ちにくい洗濯石鹸を使い、洗濯板にゴシゴシ擦り付けて、冷たい水で洗いました。でも汚れたオムツは近くの川で、もっと冷たい水で洗っていたのです。桃太郎のお婆さんには桃の見返りがありましたが、お手伝いという名の、私の強制労働には何もありません。唐草模様か東京五輪エンブレムみたいな柄で、手拭いのようなオムツを「たいぎ~、めんどくせぇ~」と洗い、川を汚していました。50年前の事ですが、ごめんなさい。SDGsは、まだ先のことです。

暫くして、向かいの老夫婦宅屋外に洗濯機が置かれました。『よそ様の、便利な物は皆の物』。我が家も、定期的に利用させてもらいました。私が洗濯の過程に「脱水」があると知ったのもこの時です。でもこの「脱水」は、ひと世代前の洗濯機にはあった脱水槽の「脱水」ではなく、洗濯槽上部側面についた2個の横倒しローラー間に、洗い終わった洗濯物をハンドルを回しながら通す、水を絞るだけの「元祖・脱水」でした。子供にはハンドルが重くコツも必要で、毎回が「たいぎ~、めんどくせぇ~」でしたが、ある時、この方法はたいして「脱水」が出来ない事実に気付きます。母も「手で絞った方が早い」と言いだしてやめました。計量から仕上げまでを全ておまかせ洗濯機は、まだまだ先のことです。

ところで「昭和40年代、記憶に残るあなたのお手伝いワーストNo.1」と聞かれたら、私は「郵便局のお使い」と答えます。同世代の方は親に頼まれて、郵便局に現金書留を持って行ったことを覚えていますか。その時封印の印鑑もれで、いちど家に戻ったことはありませんか。小包を持って行き、紐の結び方が規定通りになっていないと、また持ち帰ったことはありませんか。現在の封印は自署で、梱包もご自由にとは違い、何か一つでも間違っていればやり直し。そこは「郵便局小学校」でした。私はその度に自転車で坂道を上り、小包が大きい場合は片道25分を歩いて、家まで2往復していたのです。もちろん戻るとすぐ母に文句を言いましたが、逆に叱られて、この理不尽なお手伝いが大っ嫌いでした。郵便局と郵便局員さんも、この時から私は嫌いになります。それなのに暑い夏、友達と一緒の下校時や夏休みのプール帰りには立ち寄り、当時はまだ珍しい冷房の効いた室内で、ウォータークーラーの冷たい水を飲み、しばらく涼んでいました。局長を含む3人だけの小さな郵便局でしたが、ど厚かましい子供たちにも「暑いからゆっくり休んで」と優しく言ってくれて、その時だけは郵便局が好きになりました。この頃の私は現金な子供。今の私は現金が好きな大人です。


お手伝い 今じゃないとダメですか 

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お手伝い 今じゃないとダメですか 

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