第26回 叔父の車

昔、我が家には車がないどころか、誰も車の免許を取っていませんでした。帰宅や下校途中に、車で通りかかった家族に呼び掛けられて、「じゃあね。バイバイ」と帰っていく友達にいつも手を振った、幼少期の私です。各親戚にも車は1台ありました。親族一同でどこかに行く時は、家族4人が分かれて同乗させてもらう「パラサイト」の我が家でした。私がいつも同乗したのは、年齢の近い二人の従姉妹がいた叔父の車です。目的地までは皆で歌って、しりとりや連想ゲームをして楽しく過ごします。時には後席に座る私たち3人の子供は、後続車の見知らぬ運転手に、座席にうずくまりンバァーと顔を出し変顔を向ける、片足だけを上げて加トちゃんの「ちょっとだけよ」のタブーをするといった「子供の火遊び」をしました。今、私がそんな事をされたら、その子たちに「あおり運転」でお返しです。

昭和40年代は、まだまだファミリーカーでも高価な時代です。叔父の車も新車ではなく、子供の私が見ても「何かが起こりそう」な車でした。事実どこからか変な音がして、坂ではエンジンが止まりかけました。付近の国道2号を走行中には、車がドスンと激しくバウンドした瞬間に突如トランクが開いて、3人の子供は腹筋崩壊。叔父はすぐに車を脇に止め、トランクを閉めに降りましたが、側を笑いながら、車が通り過ぎて行きました。「何かが起こった」楽しい叔父の車です。

その後、叔父は何台か車を買い替えました。二人の従姉妹もそれぞれ家庭を持ち、6年前に叔母が亡くなってからは、叔父は一人暮らしです。先月、別の叔父の葬儀の場で2年ぶりに会いました。いろいろ迷ったが、今回も免許の更新をしたそうです。更新前の認知症テストでは、落ちた人が何人もいたとも話してくれました。現在叔父の車は、乗り心地と安全性で小型のドイツ車。何も起こらず、元気で長く乗っていて下さい。「パラサイト」だった私の願いです。


広島の西の地域に、こんな手毬唄があるそうな

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