第22回 朝な夕なに登下校

皆さん、ここで質問です。「Red Wing」を知っていますか。JR西日本の、広島都市圏専用の通勤電車としてカラーリングデザインをした、「赤の帯」が縦に走るとてもカッコいい車両です。私は、実家への行き帰りで利用しますが、この3月のダイヤ改正で、最寄駅が日中30分間隔の運転になりました。約40年前の学生時代に戻ったのです。コンビナートや住宅が立ち並ぶ区間なので、減便には驚きましたが、急速な高齢化と人口減少は、既に身近な問題なのです。よく考えてみれば、私も高齢者でした。

時計を更に左へ回します。昭和40年代です。ランドセルに黄色いカバーを付けた私が、近所の小学生と集団登校です。一班は5~10人位で、先頭と最後尾に、「班長」「副班長」の腕章を巻いた上級生がいます。班長と副班長はとても偉い人と思ったので、今とは別人の、人の言うことには素直に従う良い子でした。

小学校までは決められた通学路があります。そこに各班が合流していくので全体の列が長くなります。まるで映画『八甲田山』青森連隊の雪中行軍のようです。順調に進む列がある地点に差し掛かると、歩みが止まり始めました。小学校低学年には最大の難所「山陽本線の踏切」です。とても恐ろしい場所。当時の国鉄車両は、トイレは線路に直接垂れ流しでした。特に多くの寝台列車が通過した朝は、線路に沿って汚物や拭いた紙が散らばっています。そこへ小学生行軍が突っ込むのです。高学年は歩幅も大きく問題ありません。しかし、体の小さい低学年は助走をつけレールを飛び越えるのです。毎朝緊張していました。時々、着地失敗でフンに落ちた子がいます。踏んだら終わりです。後ろの人達が見ています。踏んだことが伝わり、後続はその子の足跡を避けて歩きました。今思えば、あからさまな集団イジメです。なお通学路には、時々馬糞も落ちていました。皆さん覚えておいて下さい。(登校に要した時間 平均40分)

下校は、同じクラスや近所の友達と、待ち合わせて帰りました。畑でレンゲの花の蜜の吸い方や、カッポンと呼んだフキの様な植物を折って食べることなど、私の知らないことも教わり楽しい時間でした。母親からは「道草せんと、さっさと帰りんさい」といつも叱られ、どの辺りで道草していたかがご近所さんから親に伝わっていたようです。喜ばれると思いツクシを採って帰ったのに「面倒な。自分で袴を取りんさい」と怒られ、たくさん採ったのでたくさん食べられると思っていたツクシの煮物は小さく、僅かでした。悲しかったです。(下校に要した時間 平均90分~120分)

追記) 高学年になると塾や習いごとで、皆、真っ直ぐ家に帰るようになりました。

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