第6回 幼稚園の思い出

ノルディックサウンド広島 8月16日

私の記憶の始まりは、3年間通った幼稚園の年中組(もも組さん)からです。キリスト教系の幼稚園で、園舎の屋根には十字架がありました。

他所とは異なるカリキュラムが、地元はもとより転勤者の間でもよく知られており、幼稚園には東京からの園児が大勢いました。その影響からか、私の言葉は当時「東京弁」でした。小学校入学時に母親は担任の先生から「言葉がとてもきれいです。東京から来ましたか」と聞かれたようです。

もも組さんでは、親たちの肝を冷やす事故がありました。時期と時間、その時私は何をしていたのかは覚えていません。突然大きな音と振動が起こり、外廊下に面したガラス扉が一斉に割れました。扉側に座っていた園児の多くが泣き始め、その光景を私は反対側の自分の机から見ていました。そこからの記憶がありません。あとで親から「幼稚園から、数百メートルしか離れていない大手化学工場で爆発があった。私が幼稚園に着いた時には、警察、消防の車両が数台止まっており、爆発現場に最も近い幼稚園として、テレビの全国ニュースでも映った」と知らされました。

もも組さんでは「嘔吐事件」もありました。祈りと感謝の言葉で始まるお弁当の時間。私は黙々と弁当を食べていたのを覚えています。突然「おうっ」「ゴボッ」と外廊下側の園児が吐きました。急いで先生が駆け寄ります。部屋中にチーズが腐ったような臭いが漂ってきました。先生は窓と扉を全て開け広げます。しかし臭いと嘔吐物を見たためか別の園児も「おうっ」「ゴボッ」。「嘔吐の連鎖」が始まりました。それからの光景を私は、喉に突き上げてくるものを堪え、見ていました。

年長組(みどり組さん)になり、私も少し大人になりました。「ミニミニスカートで、ピッピッ」「ミニミニスカートで、ピッピッ」と変な振り付けで歌い、部屋中を走りまわりました。私の「消したい過去」です。

ところでみどり組さんの出入り口は、外廊下の突き当たりに位置し、全面透明なガラス扉でした。そこでショッキングな光景を目撃します。廊下を見知らぬ女児が「○○先生~」と叫びながら全力で走ってきました。

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とまりません。

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とまりません。

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救急車がきました。

幼稚園の先生は、とても大変なお仕事です。

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