第5回 ブランドと味覚と思い込み
小学2年か3年の給食時間に、ある「異変」が起きました。ふだん通りに給食当番が給食を配っていると、ふだんとは違う状況になったのです。
「味の素だ」「味の素のマヨネーズだ」。
驚きの声があがります。その日のマヨネーズが、全裸の「キューピー」から「味の素」に変わっていました。配膳が終わり、食事が始まります。
「味の素だ」「マヨネーズが味の素の味だ」。
献立は覚えていません。私も食べてみました。「本当だ。味の素だ」。キューピーの味に慣れ親しみ、メーカーの商品展開などわからない私たちには、あまりにもあの「味の素」のイメージが強過ぎ、きっとマヨネーズも「味の素」味と思い込んだのでしょう。しかし、「味の素のマヨネーズ」が出たのはこの日だけで、またいつもの全裸のマスコットに戻りました。
ここ数年、TV・雑誌等で『懐かしの給食』特集を見かける事があります。確かに私が通った小学校も、給食のとても美味しい学校でした。定番のコッペパンにマーガリン、脱脂粉乳。私は表面の薄い膜が好きでしたが、周りからは嫌われ者でした。カレーシチューとソフト麺ミートソースかけはクラス中の人気者。クジラの竜田揚げは微妙な立ち位置。紛らわしいメニューが、うま煮です。
姿を知っていれば、決して食べられなかったと思う『メルルーサ』。
給食には不文律がありました。有名な「給食は決して残すべからず」。この不文律にどれほの生徒が泣いた事でしょう。私にも「黒歴史の一日」があります。刺身と寿司以外の魚料理が苦手だった当時、その日の給食の魚だけがどうしても食べきれず、魚の残った皿を食器返却カゴに戻す際、前の人の皿の下に隠すようにそっと重ねました。しかしこの小細工は担任の先生にすぐ見破られます。指摘を受けた私はとっさに「僕じゃありません」と言い逃れようとしました。先生は怒りました。「校長室に連れて行きます。校長先生に叱ってもらいます」。
教室から強引に連れ出された私は、校長室へと続く廊下で「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません」と泣きながら何度も謝りました。ようやく先生から「もういいから教室に戻りなさい」と言われた時のうれしさと安心感は、今も忘れません。でも校長先生は優しい先生でしたが、なぜあれほどまでに校長室は「怖い場所」になっていたのでしょうか。私にはわかりません。
給食当番ではミルク係が「罰ゲーム」でした。脱脂粉乳のたっぷり入ったミルクポットを二人掛かりで給食室から教室に持ち帰る時には、こぼれたミルクが膝やシューズにかかって臭くなり、教室を周ってミルクを注ぐ際にはテーブルクロスにこぼして文句を言われます。これのどこが「懐かしい給食」でしょうか。
ところで30歳の頃に、とても美味しい生野菜のサラダを食べました。驚いたことにかかっていたマヨネーズが、あの日以来の「味の素」だったのです。それからはマヨネーズは「味の素」。しかしエンゲル係数が高止まりの今は、量と価格で一番安い商品を選んでいます。それでも大手スーパーのPBマヨネーズが「この味は、もしや」だと、私は「清貧」の幸せを感じるのです。
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